「私なんかが…」
最近ネットショップを開いた方から相談をいただきました。もともと、いろいろな組織で従業員として長年クリエイター活動をしてきた人でしたが、最近になって独立を現実のものにしようとして動き始めた方です。
「私なんかが…こんな作品を世に出すなんて恥ずかしい。商品が少なすぎるし。」

その方はそうぼやいていました。確かに、ネットショップ、開店当初なら商品が3個しかなかったり、商品がいまいちだったりすることもあるかもしれません。たった一人で、限られた投資の中で運営する以上、発揮できるパフォーマンスは限度というものがあります。それに最初は、売れるかどうかもわからないですし、スモールスタートとなれば当然でしょう。
私が商品レビューを書いていたころ、同じような迷いをよく抱えていました。「強豪ブログがひしめくジャンルで、私なんかが記事を書いていいのか…」
この相談者の方も、私も自己肯定感が低く、非常によく似た迷いです。しかし私はこの迷いの中には、自己肯定感の低さとは矛盾しているような要素「小さなうぬぼれ」が隠れいているといつも考えています。
一見、ただの謙虚な考え方のようですが、確かなうぬぼれが、そこにはあるのです。
自己否定とうぬぼれの関係を掘り下げる
今回の相談者は、挑戦する前に、「私なんかが…こんな作品を世に出すなんて恥ずかしい。商品が少なすぎるし。」と思って決断が難しくなっているわけですが、「私なんかが…」「こんなお店で…」という自己否定の感覚は、自己肯定感が低いと感じている人にとっては、ごく自然な流れに感じられるものです。これが謙虚さ慎重さの一部としてとらえられることもあるでしょう。しかし、それだけでは終わらない問題が隠れています。
挑戦を前にして行動を止めてしまう理由。その根底にあるのは、失敗や恥を恐れる気持ちです。この気持ちを乗り越えるヒントが、ゲーテの言葉に詰まっています。
手は手でなければ洗えない。得ようと思うならまず与えよ
綺麗な手になりたかったら、手を使って洗えという意味で、何かを得ようとするときにはまず何かを差し出す必要があるということを説いています。
差し出すものとは、ネットショップを立ち上げる労力だったり、時間だったりするかもしれません。しかし今回はこれだけにとどまらず、「ネットショップ立ち上げ当初の、恥ずかしいと思うプライド」までも、差し出す必要があるのです。

ここで立ち止まる理由は、『こんなお店じゃダメだ』という自己否定の感覚かもしれませんが、もう一歩踏み込むとそこには別の心理が見えてきます。『こんな作品だし、3つしか商品が並んでいないお店なんだからお客様だってきっと良いとは思わないはず』という言葉の裏には、自分の目線や価値観がお客様を代弁できるかのような、ある種のうぬぼれが隠れています。
最初は、どうしても何かを差し出す必要があるのです。それはプライドだったり、魂だったり、恥ずかしさだったり、時間だったりするでしょう。それを差し出す前から、すでにお客様の気持ちがわかりきったかのように、出品した後の心配をしている。そう、自己肯定感が低いから遠慮していると思っている瞬間でさえ、実は心の奥に小さなうぬぼれが隠れているのです。
この小さなうぬぼれに気づくことが、挑戦者としての姿勢を取り戻す最初の一歩です。では、そのうぬぼれを捨て、本当に肩の力を抜くためにはどうすれば良いのでしょうか?
行動しない理由を解体する
自己肯定感が低い人は、挑戦する前からすでに、自分自身の作品に対しても低評価をつけがちです。「こんなものを世に出すなんて恥ずかしい」「こんなお店はみすぼらしい」――自己肯定感が低い人なら、きっと心当たりがあるでしょう。その厳しい目線は、まるで自分自身に低評価をつけるかのような感覚です。
そしてそれを世に出すなんて、恥ずかしい。もし批判されたらどうしよう?もしバッシングされたり、馬鹿にされたりしたらどうしよう?間違いを指摘される可能性だってある。それを10人、100人、いやそれ以上が見ているかも…こんな気持ちじゃないでしょうか。
この恐れが行動を阻む最大の理由です。勇気を出して何かを世に出すからには、見返りを得たい、認められたいという気持ちがあるかもしれません。しかし、その気持ちが叶わないどころか、反対に否定されたときの痛みを想像すると、立ち止まってしまう――それが行動しない理由です。

しかし待ってください。あなたのお店は開店したばかりの無名店で、誰が入ってくるというのですか?誰かが低評価つけるほど、有名なお店なのでしょうか。
そう、最初は誰も入ってこないんです。入ってこないからこそ、高評価、低評価つけられる以前の問題です。この不安や恐怖は、自分の中にしか存在しておらず、自分の中の架空の有名店に、架空の目利きのお客様がやってきて、架空の評価をつけているにすぎません。すべては、自分のうぬぼれーー「自分にかまけてられるほど世の中は自分に注目している」という誤解です。
この恐怖や不安が、あなたの中で作り出された幻影だと気づいたとき、次の一歩への準備が始まります。では、どうやってその恐怖や不安を振り払い、真摯に挑戦へと進むことができるのでしょうか?
最初からうまくいくことなんかほとんどない
私はその相談者と、ネットショップ立ち上げ前に話していたことがありました。「私はきっと成功させる。その気力と実力があるから、絶対にできる」そう語っていました。その気概がありながらも、いざ一歩踏み出す時に、決断が鈍ってしまったわけです。
これから行動しようとする人たちはどんな挑戦であれ、挑戦者です。
挑戦者ならば、挑戦状をたたきつけて終わるわけにはいきません。必ずその戦いの場へ出向き、不格好だろうが、技術が足りなかろうが、最後まで戦い抜かねばなりません。そしてそれに勝つことが目標なのであれば、なおさら立ち止まる理由はないはずです。
あなたね、決断力がないんじゃなくて、決断する方法を知らないだけよ。
あのね、良い方を選ぶんじゃなくてあなたが思う方を選ぶのよ。
最初はいろいろ失敗するわよ、あなたバカなんだから。
でもそのうち自然と良い方を選ぶようになっていくわよ。
最初からうまくやろうなんて自惚れてるんじゃないわよ。「ムーミン」より – リトルミイ
さすがリトルミイ、きついけど核心をついていると思います。最初は失敗をして失敗をして、泥臭かったり、恥ずかしい思いもするけど、続けていけば自然といい決断ができるようになってくると、彼女は語っています。

行動をためらう理由が何であれ、初めての挑戦が完璧である必要などないのです。失敗して当然、つまずいて当たり前。その現実を受け入れることが、挑戦者としての姿勢を持つための最初のステップです。誰もが最初は初心者であり、挑戦者なのです。
しなやかに、したたかに。
そんな心持ちが必要なのではないでしょうか。
結論:恐怖と戦い前進あるのみ
私は今まで、自分が行動しなかったり、挑戦しなかったりした理由は、自分に自信がないとか、自分より素晴らしい人たちにはかなわないからやったって無駄だとか、そういったものは、謙虚さ、遠慮深さだとばかり考えてきました。
会議に出て、意見を言わないことも近い状況だと思います。発言するデメリットの方ばかり目についてしまい、何かを思ってもあえて黙ってやり過ごす。なんかその状況に納得しているふりをする。黙っている方が、傷つかずに済みますし、できる人たちに任せてしまうほうが楽だと考えていました。
しかし当事者として、何かを成し遂げたいと考えるようになってからは、これらの行動が「うぬぼれ」の延長にあることに気づきました。確かに、発言したり、発信したりすると損をする背景や文化は、あるかもしれません。ですが、その先にある「成果」を手に入れたいのなら、迷わず行動するべきだと考えを改めたのです。
最初は恐いかもしれません。失敗のリスクもあるでしょう。後ろ指もさされるかもしれない。しかし、真摯に挑戦者として取り組む覚悟を持つこと以外に、そのスタートを切ることはできません。
ここで重要なのは、自分のうぬぼれを捨て、本当の意味で「評価を求めない心」を持つこと。それは投げやりではなく、真剣で、自由な心構えです。自分を縛るすべての恐れや期待を解き放ち、ただ目の前の一歩に集中する。
未来を変えるのも、明日を作るのも、その一歩の積み重ねによって成り立っているのですから。
この記事が、誰かの一助になれば幸いです。
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