長らく日本の企業というものは、いい意味でくそまじめ、悪い意味でもくそまじめでやってきているなと思います。ここ最近のスタンダードといえば、商売においてマーケティングがいかに重要かというのも、浮き彫りになってきている世の中で、そのくそまじめは必ずしもいい方向には働かない気がしています。
前回のブログでも取り上げましたが、どんなに歴史ある企業が素晴らしい製品を作り上げていても、後からやってきた「本質はわからんが、なんだかいいもののような気がする製品」を市場に投入して成功するケースが増えています。これは情報過多の時代にみられる傾向の一つかもしれません。

どれもこれも情報過多になりすぎたがゆえに、一つ一つの製品を見比べるのが面倒になり、あるいは、それに疲れてしまった人たちが、「もういいよ、なんかすごそうだしそれにしよう」とかそういう気持ちで製品を選んでいるんじゃないかと、邪推するぐらいには、情報過多の時代に入ってきているのかなと。
皆さんにも身に覚えはないでしょうか。
パソコンの選定はうまくできるのに、一般家電となると途端に面倒くさくなってよさそうなものを選ぶ。
そんなことが。
ITを仕事にしている人間である私でさえ、そういうことが多々あります。妻が選ぶ家電は、「もういいや、店員と選んでくれ」と。時間をかけて、PCの前でじっくり調べられるのであれば、調べるかもしれないけど、それすらも疲れていてやらなくなっている。

現代の情報量の多さと、マーケティングは相性がいい
短い時間で、簡単にわかる魅力がわかれば、製品を選ぶのに十分だということの表れかもしれません。マーケティングに力を入れている企業ほど、サイトを見れば数字が多く並ぶことは、具体例に尽きることがない証拠です。この手法はデータドリブンマーケティングと呼ばれており、マッキンゼーやガートナーも、その効果に対して20パーセント以上の向上が見られることを報告しています。
ほかにも、伝説的なiPodのプレゼンでスティーブ・ジョブズが、「持ち運べる曲の数」を具体的に示したというのは、有名な話です。

人間は、一度に多くの情報を扱えません。研究者のネルソン・コーワンが2001年に発表した論文では、マジカルナンバー4とあるように、人は4つまでの情報しか扱えないとされています。
このマジカルナンバー4に従えば、スペックシートにある情報は、せいぜい4項目までしか比較できないということになります。情報が多かろうと、すべて見るということはほぼすべての人がやりません。なのであれば、重要なポイントを(できる限り)4つに絞って、そこに最大限の製品の魅力を詰め込む必要があり、極端な解釈では、それこそがマーケティングの役目だと考えることができます。
日本の武士道精神と現代マーケティングの乖離
一方で、日本には古来から武士道がいまだに根付いているというのは仕事をしていてよく思うところです。一緒に仕事をするやたらとお客さんに低姿勢な営業さん、会社にそこまでして尽くす必要あるのというぐらいに忠誠心が強い同僚、残業しているのに、残業代を請求しない先輩がいたりします。
これらは自己犠牲を美徳とし、お金は汚らわしいものとする武士道の精神が、いまだに息をしている証拠だと思います。礼を尽くし、忠義を通す。非常に美しく、誇り高いものであり、それでいてどこか懐かしさを感じるものです。多くの人にとって、大なり小なり心の中にある価値観でしょう。たとえ直接的な経験がなくても、自分の中の「侍」と、せめぎあいを経験したことがあるのではないでしょうか。
武士道は、日本の企業のマーケティングにも反映されていると思います。以下は日系家電メーカー全般に言える傾向をまとめてみました。
誠実すぎるがあまり、製品の全方位でレベルを高めてしまうこと。
誇張した表現を使わずに慎んでしまうこと。
華美な意匠や、洒落たデザインは不真面目であるとされること。
このような形で、日本製の製品は、その品質の高さと誠実さがゆえに、自らの首を絞めている格好になっていると思います。

戦後のものがなかった時代から誰かが言い始めた「いいものを作れば、売れる」という考えが、具現化しているともいえるでしょう。しかし、いま世界を牛耳っている製品たちは、いいものであるのは当たり前の上で、何か輝くものとして存在しているように思います。
今の日本の企業に求められるのは、対抗することではなく差別化の道
今日のマーケティング全盛の時代に、武士道は合わないと話しました。しかし現在のマーケティングは多くが欧米企業が見つけ出した正解に基づいています。製品自体にも企業の思想や色が出てくるように、マーケティングにも企業の数だけ考え方があっていいと思います。
今やNINJAやSAMURAIも、世界共通語となりました。個人的にはここに、日本企業の活路があると考えるのは面白いと思っています。せっかく日本に生まれ、日本で育ち、日本企業として歴史を積み重ねてきたのなら、日本流のやり方で勝ち進んでもらいたいです。
どうせ残ってしまっている武士道精神、どうせ製品からにじみ出ている武士道を、あえていい方向に、そしてそのやり方で勝つ。これほど痛快なことはないでしょう。
ある話では、サッカー日本代表のサポーターが、客席を清掃して帰り、各国から称賛を受けたと聞きます。これもまさしく武士道からくるものだと考えれば、日本が持つ素晴らしいやり方でマーケティングすることで、再び世界に名をとどろかせる日が来てもいいと思います。
盲目的にいいものを作ってきた日本から、いいものとは何かを再定義して世界に発信する国へ。そんな日が来たらいいなと願ってやみません。
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